塙保己一先生のこと


朝起きて、驚きました。Google検索のロゴが塙保己一 誕生 271周年

となっていたのです。この方は小学校の時に社会の授業で知り、私に家族が出来、車で移動中に偶然埼玉の深谷の方で看板を見つけ数十年ぶりに名前を聞いた人です。このエリアにはかの渋沢栄一さんも誕生した地です。

塙保己一のことをヘレン・ケラーに「塙先生こそ私の生涯に光明を与えてくださった大偉人です。」と言わしめた方なのだそうです。これは昭和12年(1937)に保己一のひ孫の塙忠雄が温故学会を設置しそこにヘレン・ケラーを招いた時のエピソード(「私は子どものころ、母から塙先生をお手本にしなさいと励まされた育ちました。今日、先生の像に触れることができたことは、日本訪問における最も有意義なことと思います。先生の手垢の染みたお机と頭を傾けておられる敬虔なお姿とには、心からの尊敬を覚えました。先生のお名前は流れる水のように永遠に伝わることでしょう」

)のようです。

更に、塙保己一はとても穏やかに生きることを誓った方のようで、犬や馬にさえ大声で叱ることもなかった

といいます。これはそうやすやすとはできることではありませんし、現代ではすぐにキレたり叱るどころか怒る人が多くなってしまったことを日本人の美徳感をもってすれば、恥じるべきなのではないでしょうか?

群書類従を作るにあたり六国史を集めたりし、400字詰め原稿用紙の基を築いたのも塙保己一なのだといいます。

東京大学史料編纂所塙保己一による功績から現代に残された功績ではないでしょうか?

旅先での写真大事にします。

とても地味で驚くような場所でしたが忘れられません。

皆さんも生誕の地へ身に旅行してみてはいかがでしょうか?

渋沢栄一と塙保己一の関係についてこちらに記述がありましたので追記します。やはり尊敬していたようですね。

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